piece3-3 向こう側

ヨリは真っ暗な場所に立っていた。
前後及び上下左右。全てが一面真っ暗で、周囲は何があるのか全く分からない。なのに、自分の手足は発光している様にはっきりと形が分かる。足が付いている地面は、少し触れればふわふわと頼りないくせに、足が乗っかるとがっしり堅くなった。
夢の中にしては地味で素っ気ない。お陰で、二人の男に捕まった事や良くしてもらった事、先程不意打ちに殴られた事が夢に思えてしまった。確認の為に頬を叩いてみたところ、地味に痛かった。
ついでに先程拳を打ち込まれた胸先にも触れてみた。少しの感触でも痛みが響いている。軽く叩いた頬よりも痛みが強いので、相当派手に殴られた事が分かった。息がし辛い訳では無いので、恐らく骨まで痛めてはいないだろう。しかし、明日には痛む場所に濃い濃紺色の痣が出来ている。
その痛みに、少しばかり不甲斐無さを感じた。
未だイデア・プログラムでの後遺症の為、ヨリ自身では疲労や食欲以外の感覚がきちんと分からなくなっている。だが、ヨリの中にあった『運動だけはできる』というなけなしの【誇り】は、殴られた痛み以上に傷ついていた。

「そうだよ。痛くて当たり前なの!失礼な男の人に思い切り殴られたのよ!お父さん達があたし達を見つけてくれたから良かったけど!」

不意に金髪の少女がヨリの顔を見上げ、小鳥の囀りの様に捲し立てた。
目の前にヒナが現れた途端、一瞬のうちに真っ暗な世界は、窓ガラスを叩き割って逃げ出した部屋に変わった。
仄かにランプの灯が、ヒナの編み上げた髪を照らしている。

「そりゃ、いつもお父さんは助けてくれないけど......殴り合う喧嘩はしちゃ駄目!絡まれたら逃げる。巻き込まれても逃げる。いい人そうでも逃げる。私も気をつけるから、お姉ちゃんも気をつけて!」
「...ヒナ?」

用件しか喋らず、こちらの問いには答えず。
何かのリプレイの様にヒナは訳の分からぬ理由でずっと怒って、姦しく捲し立てている。
これだけ激しくヒナがヨリに怒ったのは、確かに以前あった事だ。この街に来て最初の頃、ヒナと第五区の場外市場に出掛けた時、質の悪そうな男共に騙されて、うっかりヘヴンズ・ドアの売春宿に連れて行かれそうになった時だ。
所用で近くの場所で待ち合わせていた先生と、連れ合っていた先生の知り合いに助けられて事なきを得たものの、それ迄にヨリは顔や体にちょっと大きな打ち身を作り、連れて行こうとした男共は数人が肘と肩の腱を壊し、一人の顔は人外じみた輪郭になっていた。

「ヒナ、それはお前が言う事じゃないだろ。」

怒り顔のヒナの頭を軽く叩く人がいる。濃い茶色の髪をした背の高い男の人だった。
ヒナとこの人の事は、嫌でも覚えている。名前で呼ばない様にと、ヨリに『Dr.(先生)』と呼ぶ様に言い続け、ひたすら身元を隠し続けた命の恩人。そして、ヒナの父親だった。多少呆れ顔、そして愛おしむ笑顔でヒナを見ている。

「方向音痴のお前を、ヨリが一番に見つけてくれたんだ。お前こそ知らない場所をうかうか歩き回るんじゃない。うっかりの多いお前が、派手にヨリを心配する事にお父さんはハラハラするよ。」
「お父さんはお姉ちゃんに甘い!お父さんこそ、お姉ちゃんが怪我したら一番怒るくせに...まあ、私が悪いのは分かってるわ。でも、お姉ちゃんが一人になってしまったら、また大怪我しやしないか怖くてドキドキしちゃうのよ。」
「ああ、確かになぁ。」

ヨリの頭を撫でながら、彼はゆっくりと語り掛ける。ヒナは真剣な顔でヨリの手を握り締め、ヨリを見上げていた。

「お前一人でどうにかなる事ばかりじゃないんだ。怪我や病気になってしまったら、当たり前の事も大変なものに変わってしまう。だから、無理はするんじゃない。」

頭に置かれた手はじんわりと暖かくて、ヨリの手を握りしめる小さな手は、細くて頼りないのに優しかった。
申し訳無さと有り難さで、自然と顔は俯いてしまう。そして、どうしようも無い程にこの人達が愛しくて嬉しかった。

「ごめんなさい。」

その呟いた言葉が切掛けなのか、不意に周囲が姿を変えた。
暖かい手のひらの感触は一瞬で消えて、今度は薄暗い部屋にぼんやりと立っている。細い蛍光灯の明かりの下の狭い部屋で、後ろを振り返っても、コンクリートの壁に囲われていた。見慣れた場所からの唐突な変化で、何処なのか全く分からない。しかし、ヨリはこの場所を知っていた。
だが、この場所であった事は思い出せない。此所にいる間に思い出せばいい事だと、目の前の扉に凭れかかる人に意識を向けた。
白いコートに、濃赤色のキュロットパンツ。元々小柄なヨリとそう変わらぬ体格なのに、態度はひたすら大きく、手に持つ黒い鞘を振り上げていた。艶のある黒い髪が流れ、優しい瞳で微笑む。頬に鱗の形に繋がる赤い刺青が浮かんでいる。それが笑顔で歪んで見えた。

「本当に仕様のない子だ。あの男に会う前に、先にこっち側へ来やがった。ま、あたしへの被害は無いから、それはそれで良し。」

どうやらヨリが此所へ来るのを待っていたらしい。こんなにインパクトのある人なら、覚えていない筈はない。
潤んでいた目を擦ったヨリを見て、少女はけたけたと楽しそうに笑った。

「久々に偽者の家族と会えて嬉しかったのかい?」

いきなり涙の理由を言い当てられて、後ろに後ずさる。
先生ともヒナとも血の繋がりも無い。そして、恩と義理で繋がった二人とヨリとの関係は、確かに偽家族だ。しかし、他に言い様がないのか。不躾な言い草に腹が立って少女を睨み付けると、彼女はまた楽しそうに笑う。

「確かにあいつのお陰で会うのは久々になったね。あたしを忘れてしまっても仕様が無い話だけど、相変わらず素直な子だ。選んでくれたソフィーに感謝したい位だ。」
「誰?ソフィーって。」
「聞くだけであたしが答えると思った?必要な事以外は、例えあんたでも教えてやれない。」
「...いじわる。」

妙にけち臭い物言いと、はっきりとしたその声で思い出した。
ヨリが必死に先生を探していた時に聞いた声の主は彼女だ。ならば、ヨリが必死になっていた理由も、久しぶりに会った二人の姿と言葉に涙が溢れた事も、何もかもが全てお見通しだろう。ヨリが軽い溜め息を付くのを見て、少女は人の悪い笑みを浮かべた。

「あんたは傍目に何考えているか、ばっちり顔に出る。あの二人も、さっき出会った素敵な男達の信用も、あんたのそれで得た報酬さ。感謝しておきな。」

顔の事は別にして、考えている事は全部筒抜けだ。それが分かったら、下手に悩む事が馬鹿らしくなった。開き直ったヨリは態度も大きく構える少女に、色々な疑問をぶつけていく。

「ここはどこ?」
「あんたの記憶の端っこで、あんたとあたしを繋ぐ部分さ。恒温動物なら『夢』って便利な機能を持ってる。それとあんたの記憶の情報を使って、リアルに近いものを形にしているのさ。だから、あんたは此所を知ってるし、さっきは久々に会いたい人に会う事が出来た。そんな事を言うあたしの姿も、中身以外はあんたの記憶の借り物で出来てる。他に聞きたい事は?」
「どうすればここから出られるの?」
「出るのは簡単。このドアを開けて外に出ればいい。」

少女はすっと身をそらす。彼女の後ろにはスチール製のスライドドアが立っている。
鋼鉄のドアに、堅い頑丈なドアノブが付いている。いかにも重そうなドアだったが、横に引くと簡単に動いた。だが、ドアを閉めて彼女に向かい合う。ヨリは此所からまだ出ようとは思っていない。ずっと気になっていた問いとその答えを、まだ彼女から聞いていない。

「貴女は誰なの?何の為に私の記憶の隅っこにいて、ここで何をするの?」
「あたしは只の傍観者。この場所を介してあんたの場所を見せて貰うだけで、あんたに何もしやしない。でも、あんたがあたしを扉の向こうへ連れて行こうって言うんなら、あたしを『使う』だけの理由と、それに見合う通行料を払ってもらう。」

偉く態度の大きい傍観者は、このドアの向こう側で何をしてくれると言うのか。
しかし、ヨリは何ら不自然に思わなかった。彼女の事はきちんと覚えていない。だが以前に、こんな事があった気がしていた。
何の為だったのか。何がしたかったのか。誰がいたのか。
まだ細かい部分は思い出せないものの、誰かから力を貸して貰った事は覚えていた。それで思い切り足掻いて、何かを取り戻して、自分が今ここに立っている。
多分その時、ヨリは何かを渡した。だが、何を渡したのか思い出せない。
何も持っていない自分の手を見て、手の甲にある黒いコードと数字の羅列が目に入る。戒める黒い数字は、お前は何も出来やしないと生意気に自己主張をしてくれた。

「必要なのはお金?」
「お、やっぱり忘れたか。」

何を渡したのか説明してくれるのかと思いきや、やはり教える気は無いらしい。ヒントを出してやると言い、ゆっくりとヨリの周りを回り始めた。

「ヒントその一。あんたはその時、さっきの女の子を守らせてくれって言った。ヒントその二。私と最初に会った時、あんたは自分のモノを差し出した。」

確かにヒナを守ろうとした事は何度かあった。思い出そうと順に遡っていくと、不意にヒナが泣き叫ぶ顔を思い出した。
少女は持っている黒い鞘を、ヨリの眼前に突き付けた。花と雪の模様が掘られた鍔が、さあ思い出せと迫ってくる。

「ヒントその三。たった一度っきりの事で、あたしはあんたに大きな代償を払わせてしまった。こいつがそう認識しているから、対価については今後もチャラにさせて貰う。」

少女の一言と、思い出された映像記憶を切掛けにして、色々な記憶がヨリの頭の中を走り抜けていく。
ヒナの泣く顔。爆発と衝撃。軍服を着た男。一振りの刀。黒いコートを着た女性。そして、この部屋のコンクリートの壁。
呼び出された古い記憶で、ヨリはこの場所についてはっきりと思い出した。
この場所は、研究施設の一室だ。この閉鎖された場所で、ヨリは気が狂う程に薬を与えられ、戦う事を叩き込まれた。教えられる事に違和感はなかった。だが、薬を投与されると吐き気や気分の悪くなる事が多く、それ以上の不満と不快感から、ヨリはその人達へ散々抵抗を試みた。
食事を取らない。点滴を引き抜く。とりあえず他人を片っ端から倒す。
研究していたのが毒薬ではなかった事で、ヨリの抵抗は形となって現れた。そして真っ暗闇の独房へ連行された。
そして、派手に抵抗する実験台に業を煮やした研究者と、その場所で約束を交わした。
途切れた記憶を思い出していく間に、普段は隠している感情がヨリの心を占めていく。

平穏を脅かしているのは彼女だ。
全てを奪う者は彼女だ。
その息を止めれば、己の平穏が訪れる。

今は駄目。今、出て来るな。そう呟きながらヨリの眼は、焦点を彼女の急所に向けている。必死に平静を保とうと、自分の腕を握り締めた。

「最後のヒント。今のあんたが使ってる名前は、さっきの男が亡くした子供の名前だ。あいつがそれをあんたに借してくれた。あの子の前に生まれる筈だった子供のもの。」
「だから、私は...」

瞬間、少女との合間にノイズを被った何かが現れた。
素早く少女は黒い鞘から刀を引抜き、一閃させる。空を斬る光の線が、ノイズとそれによって乱れた部分を元の状態へ戻していく。
彼女が持つ刀は、滑らかな弧を描いた刀身で、弱い光の下でも青白く輝いていた。彼女の優雅な動きで、ゆらゆらと細い光が舞って、流れる様に鞘に納まる。

「思い出しそうなのか?あんたとあの男の間にあるもの。」
「...分かんない。」

今のノイズは何だったのか。今この場所と関係ある事を、ヨリは思い出せそうになっていた。しかし、彼女の一閃でそれは簡単に断ち切られてしまった。
それでも良いと思った。思い出そうとすると、もう一度あの狂気と正面から向き合わねばならない。
ヨリは彼女が言う『あの男』が、この狂気と関係している様に感じた。ずっと彼女の声を聞く度、それは先生の事だと思っていたが、彼女の雰囲気と今までの事を考える限り違う。一体誰の事なのか。思い悩むヨリに、少女は溜め息を付いた。

「今この場所でなけりゃいいんだ。あいつの保護もだいぶ薄れてきているからね。」

少女は切り捨てたノイズの跡を眺めた。
人の靴形に切り抜かれたノイズが、コンクリートに穴を明けている。
何とか堪える時に選んで欲しいもんだ。彼女の呟きを聞き、ヨリは不甲斐なさと憤りで唇を噛み締めた。

「ここから先、思い出そうが出すまいが、昔のあんたの名前はあたしのモノだ。その頃のあんたの記憶は、バックアップの意味であんたの中に残してる。あたしの保護も解くから、これから嫌って程見る事ができるよ。それはあんたにとって、只のトラウマと刷り込みの地獄でしかない。それを踏まえて、この後を選ぶんだ。」

少女の真直ぐな瞳は、ヨリの心に住んでいる狂気を見ていた。
此所からも、外からも。もう、逃げる事は許さない。

「あたしを殺すか。もしくは、あたし達を殺すか。」
「どうして私達が死なきゃいけないの?」
「終わらす為には誰かが死ぬ。そんな場所にあたし達は立ってるんだ。」

彼女の眼は清冽で穏やかなのに、言っている内容は物騒で容赦無い。このドアの向こう側が自分の死に場所と定め、悠然と構えていた。それが、ヨリには不思議で仕方がなかった。
自分の死を他人に選択させる彼女は、本当に生きている人間なのか。

「そんなのおかしい。もし先生に助けて貰わなかったら、私は死んでたんだよ。生きたい気持ちがなかったら、貴女の力を借りたりしなかった。貴女はそうじゃないの?生きたいと思わないの?」

ヨリの真剣な顔に、少女は驚いた顔をした。そして、派手に笑った。彼女の唐突な笑いに全て冗談に取られたかと思ってしまい、ヨリは真剣に言い返すものの、更に笑われてしまった。

「全く...普通にしていれば良い体と性根持ってる上に、あたしの事を人間だと思ってる。どこまでいっても面白い。あの男が本当に憎らしいわ。で、どうするんだ?」
「分かってるんじゃないの?」
「全ては形を作らないと、只の幻想でしかない。あたしは形を求めてる。」
「貴女の力を貸して。」
「対価は貰ってる。必要なのは理由だ。最初にあたしと会った時、あんたはトラウマで戦う事を選んだ。さぁ、今度は?」
「分かんない......でも、私がやらなきゃいけない気がする。」

改めて理由を聞かれて、ヨリは言葉に詰まってしまった。
誰の為に何をするのか。
自分の為では無い。それに、いなくなってしまった人の為と言うには、恐らくその人達が物凄く心配をかける事しかしていない。自分が何をしなければいけないのか分かっていれば、もう少し賢く立ち回れたのかもしれない。
そんな事を考えてしまうと、あやふやな言葉しか出て来なかった。

「多分、何かを取り戻す為に。」
「何を?あんたのもの?」
「違うわ。誰のモノでもない。」

取り戻したいのは形のあるものでは無い。自分の持っていたモノであり、死んでしまったヒナが持っていたモノであり、まだ生きているであろう先生のモノだ。
そう思った瞬間、ヨリはやるべきものが見えた気がした。こんな馬鹿みたいな事をやる人間は、自分よりも『人でなし』という呼び名が似合う。

「あの人たちが持っていた当たり前のものが、馬鹿な奴等に奪われた。だから、人でなしの私が取り返すの。」

黒い刻印の入った手の甲を掲げた。そんなヨリを見て、少女は刀を差し出す。

「多分、あたしの手を借りてあんたが戦っても、それはあんたの記憶とコレを欲しがる奴等にズタズタにされてしまうよ。いいのかい?」
「誰に?」
「さあね。あんた自身で考えてよ。」
「なら、構わない。」

差し出された刀の鞘を掴む。沼の底まで落ちれば、這い上がるだけ。助けてくれた人達とも引き離されたヨリにすれば、今程悪い事が起こるなんて考えられなかった。
ドアを引くと、その向こうは先ほど見た暗闇と同じだった。何が起こるか分からない。死なない自信なんて無い。
でも、死ぬ事は考えない。後ろを振り返り、刀を掲げた。

「私の『人』としてのプライド。一緒に取り戻せたら、それも貴女にあげる。向こう側で一緒に暴れて。」
「それはいいチップだ。じゃ、待ってるよ。」

軽い跳躍で、ドアの先に広がる闇へ飛び込む。少女の笑顔が一瞬で闇に溶けていく。


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暗闇から、見覚えのある暗闇へ。
普段より頭一つ分上の視界で、ヨリの目は覚めた。先程見たビルの中程にいるらしく、ヒビの目立つコンクリートがゆっくりと流れていく。その床がやけに下に見えた。
それもその筈。ヨリの腹に拳を打ち込んだ男が、ヨリを担ぎ何処かへ向かっている。担ぐ腕が冷たく、その男の顔には先程見た模様が張っているのが分かった。
ヨリの腕には、散々中身の分からない袋の紐が絡み付いている。
散々中を確認したいと思っていたが、何となく中身が分かれば、紐は自動的に解けてくれるらしい。ヨリは絡む糸を引き揚げ、その柄を掴んだ。

『さぁ、とっとと始めて。そんなに考えなくても、コレ位は大丈夫だろう?』

掴むと同時に、頭の中に声が響く。思い出せば楽な話だ。
この貴重品が、さっき会った少女とヨリを繋ぐモノ。彼女が認める者の声を合図にし、暴れはじめる。

「起動(スタート・アップ)」

袋にきっちり結えられた紐と袋が、形状を崩して細い糸となり、ヨリの手に張り付く。糸が更に解けて、皮膚を突き破り腕の中へ侵蝕を始めた。腕に走る電気的な感触は、考える方向を一点に集約していく。
そこは普段見る事の無い世界だ。色も音も、ただの刺激に変わる。彼女が自分と同調している。全身の血が腕に集まって熱くなった。あっという間に、夢の中にいるような浮遊感が、体中に満ちていく。
腕は瞳と同じ暗紅色のラインに染まっている。ラインは顔の半面まで伸び、ヨリの風体を異様にしていた。ヨリの手の中にあるのは一振りの刀。
今なら、何だってできる。限界なんて感じない。
刀を抜き、肘の裏に切先を当てる。腹を反らせて足を振り上げ、切先を支点にして前転する。その回転に合わせて、刀を一閃。更に鞘を男の額へ打ち付けた。
青白い光が走り、電気的な音が反響する。眼前に広がる血飛沫は、灰色のコンクリートを黒ずんだ赤色に染めていた。

「ごめんなさい。」

ヨリは倒れた男の顔を見た。その目は何も語らない。語れなくなった彼に謝っても、何も変わらない。
そして、それなりの事をやった所為で、ヨリの服は色も分からぬ程に返り血を被り、全身に血の臭いが染み付いている。その臭いで、ヨリは先程出会った意地悪な優しい人と、豪快で無茶苦茶な男を思い出した。あの二人はどうなっただろう。

『死にやしないさ、あの二人なら。』

その声は起動していると、耳に届くのでは無く頭の中で響いていた。視覚でも聴覚でもないものを、頭が認識していた。
何とも不思議で奇妙な感覚に、ヨリは頭を降る。

『気持ち悪いからって、馬鹿な事している暇は無いよ。さぁ、この先にあんたを待つ人がいる。そいつがあんたの愛しい人か、それとも憎む人か。ぶった斬るんならさっさと行きな。』
「分かってる。」

廊下のその先にあるのは、闘技場。血に濡れた格好で、ヨリは一直線に走り出す。