piece1-2 -chase the future-

誰もが眠りで古い記憶を振り返る。
数多く動き続ける拙い感情の中に澱む、たった一つの真実。
それは全ての生物に平等に存在する。


「なぁ。俺がそっち側にいたとしたらどうした?」
「助けに行ったよ。それこそ映画のスーパーヒロインみたいに。」
「嘘、つかなくていい。」
「今更あんたを騙して何の得があるって言うの。人間は死を覚悟していたら、誰だって素直になるのよ。」
「うん。そうだな。」

彼女がこの世界に存在したのは五年前のことだ。
最後に彼女と会ったのは、分厚いコンクリートの壁と金属の扉を挟んでだった。いつも通りに馴れた相手に対しての口ぶりは饒舌で、飄々とした態度を続けている。まるで遊戯をしている子供の様だった。
彼女はこれから無実の罪で実験動物と同じ扱いを受ける。生き残れば繰り返し実験動物の扱いを受け、大多数の動物達と同じ状態になれば、原因探究に向けて全身解剖に遺体は運搬されていく。
どちらにせよ検体として華々しい死を遂げる予定だ。人道を無視したこの刑罰が公表されることはない。
決定項は天変地異でも起こらない限り覆ることは無い。
きっと造り出された死体は使える部分を探して存分に切り刻まれ、標本としてホルマリンの中に漬けられる。お互いにこの状況をきちんと理解していた。
だが、判っていても何もしていない。彼女はただ死を待ち、夢の主である本人はそれを見ているだけ。
無力感を味わう事しか出来ない壁の前に立つ青年に向かって彼女は言った。

「そろそろ逃げないとヤバいんじゃない?帰る前に見つかるよ。こんな場所で倒れたりしたら、あんたもこっち側に来る羽目になっちゃう。」
「そうだな。」
「まぁ、そんな事はあんたの親父がさせないか。自分の被害を他人に押し付けるのが得意でも、自分の名誉だけは守りたい男みたいだし。あんたは一応身内だもんね。うん。」
「......。」
「あ。物はついでだから言っておくけど、あんたはフェイクでも眼鏡は掛けてない方が男前だと思う。好きなコ出来た時には、眼鏡かけないで口説くことを勧めるわ。」

悪意は無くとも言葉の使い方は他人を寄せ付けない位に鋭い所を突いてくる。明るい声は沈黙を続ける夢の主に向かって言葉を続けた。

「それでは偶然が起こした人生最後の対面を祝って、お願いを一つ言っておくわ。......もしあいつが私を捜してくれていたら、こう伝えてくれない?」

その一言を発した時の声は、妙な軽さを含んでいるのにどこか震えていた気がした。聞き慣れた者にしか分からない。壁の向こうで沈黙を続ける青年は、覚悟を決めた様に唇を噛みしめる。
人生最後の願いをされる程、彼女と夢の主との関係は深いものでは無かった。ただ、彼女は士官学校の同期で、認知されていない腹違いの姉で、研修時に世話になった男の一番愛しい存在だった。
その事実が、扉の前に立つしか出来ない彼に重くのしかかる。

「お願いって言っても......私が生きた意味なんてもう分かんない。それでも一緒にいてくれたあんた達が、私の事覚えていてくれただけで充分幸せだから。」
だからむやみに泣いたり、誰かを恨んで殺したりなんてしないで。
あいつに言う時には、私の四倍は長生きして、五倍は幸せになれと付けておいて。
最後まで明るく振る舞う彼女は、本当のところ壁の向こう側で泣いていたのかも知れない。すぐ側にある監視モニターから彼女の姿は映されていたが、それを真っ直ぐに見ることはできそうになかった。
どうにかして今この場にいるのに何も出来ない事に対しての不甲斐なさ。
彼女を憧憬の眼差しで見ていた事実。
壁の向こうの彼女がここにいる事を知らず、彼女の心情を無視して無駄に戦う馬鹿な奴の顔。
そんな溢れてくるモノを隠すのに必死で、全てを見る勇気が彼には無かった。
鳴り響く警告音。ここから去らねば自分も壁の向こう側と同じ扱いになる。
結局のところ、自分は目の前の現実から逃げ出した。差し延べられた優しさに甘え、考える事を捨てた。彼女が望んだからこそ、そうすることが正しいのだと自分自身に言い聞かせて。
そして夢は何度も同じシーンを繰り返す。過ちの重さを確認するように。

「バイバイ。元気でやんなよ。」

去り行く自分に向けて壁の向こうから聞こえた一言。それが彼女の残した最後の言葉だった。


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「今日もここに来たの?」

壁の向こうからの声が消え、アラームの音が途切れていく。
傍らに立っていた少年が笑った。顔の刺青が歪む。話す度、顔を動かす度に抽象化された模様がうねり、絡みつく歯車を動かしている様だった。

「そうやって泣く事は償いになる?」

責めるでもなく、突き放すでもなく。見た目よりも穏やかな口調で話す。たんたんとしていて、年を重ねた印象を持たせた。
ただその様相は、明らかに雰囲気を反している。
彼の東洋めいた白と群青の服装は現代的な形装を見せているものの、生地の模様は幾何学的に組み立てられている。その生地に色を差す様に、黒髪を藍色の紐を使って編まれ、肩に掛かっていた。彼の瞳は獰猛な猛禽類の様に、廊下の壁を見つめている。
彼は夢の主ではない。その存在は世界から一線を画していた。
彼は夢の主と同じものを見つめ、夢の主の事は生まれた時からの全てを知っていた。全てを知っているからこそ、いつも同じように問い掛けていた。問いに対しての夢の主の反応を伺うように。
何も無いこの場所で聞くその言葉は、先程から突き付けられていた現実よりも、ほんの少し優しく感じていた。彼に合わせるようにゆっくりと口を開き出す。

「判らない。...いや。判りそうも無い。」

泣くわけでもなく、悲しむ事もできない渇いた言葉。
途切れがちになりながらも、低い声がコンクリートの壁を伝って響いていく。
過去の全てを無かった事にできたなら。そう思い、自分の指先をナイフで斬りつける。片手から紅い雫が溢れ出し、コンクリートに落ちていった。赤く鉄臭い液体が流れていく。

「変わらないよ。そんな事しても。僕はそこまで関われる事ができないからね。」
「ああ。知ってる。」

時間の枠を越えてくれる鉄の塊は、この場所に無い。そんな傷を作らずとも気づいていた。これら全てが、自分にとって過去の記憶だった。
あの時、記憶の中にいた人々は外界から遮断されようとも、生き残る手段を模索していた。ただ、その探す方法の全てが正しかった訳ではない。正しい事がどういうものか分かっていても、実行出来る力が無ければ、手段が意味を持つ事は無いのだから。
数の淘汰。一殺多生。
例えばある家族の場合を考える。
血を分けた父親は特別な力を子供に奪われ、その事が発覚するのを恐れた。既に保身と名誉の為に、自らの地位を利用して外に孕ませた娘の命を売った。そして父親の能力を奪ってしまった息子と、それを知っている妻を身分以外で切り捨てた。妻は敬虔に不実な夫を責める事無くその身を隠し、体中を病魔に食い尽くされて息絶えた。
捨てられた息子は息子で生きていく価値を理解せぬまま、意味など何処にも存在しない死に対して、微笑む腹違いの姉を見殺しにした。
押し付けられた他人の罪を受け入れて死を選ぶ娘、それを知らぬまま彼女を探し続ける恋人。
善悪を決めるものはどこにも無い。一つの願いは大多数の人間の力に呑まれ、その流れに任せるように世の中は動いていく。それは今も変わらない。

「あの人は最後まで笑っていたね。」

ただ生きるだけの事が何故こんなに難しいのだろうか。死は誰しも等しく訪れるというのに。
今の自分にはただ生き続けて、繰り返し自分の犯した過ちを見続ける事しかできなかった。
これが精一杯の償いです。
これ以上のものを貴女は望みますか
そう叫ぶ事が出来たなら、あの声は許してくれるだろうか。もしくは叫ぶ以上に何らかの行動を望んでいるのだろうか。全てを理解できない自分に対して幻滅を感じているだろうか。
寧ろ過去の人間である彼女に許しを請うる事自体が、生き残った者の慢心なのかもしれない。
生者の正義は死者の代償があって、初めて成り立つものだから。
「そろそろ夢の醒める時間みたいだ。」
少年は周囲を見回して、左手から懐中時計をぶら下げる。規則的な音を立てていた時計がぐにゃりと歪曲した。そして夢の主の視界もゆっくりと色を変え、周りの風景が残像の様にあやふやに歪み始めていく。
視界と共に揺れ動く意識をもう一度その場に位置づけると、少年は笑顔でこちらを見上げた。

「もうすぐ君と同じ人に会えると思う。昨日、沢山の写真を見ていただろう。」
「写真?」
「うん。写真。沢山あった中にいたんだ。君と同じ人。」

自分と同じように別の存在を内面に据える者は、知っているだけでもホリーホックの店長ぐらいだ。それ以外の者については話題として聞いた事があっても、この状態になって出会ったことは無い。夢の主と同位置にいる彼にとって、誰かを惑わす只の予言というよりは、確信を得た根拠があるのだろう。
薄い笑みを浮かべてこちらの反応を待つ姿は、妙に策略でも立てているのかと思わされる。
そう思って視線を向けるものの、こちらの言葉の内容を訝しむ態度に動じる事など無いままだ。

「写真って、どの...」
「写真に写っていた子を見つけるのは難しくないと思う。ただ、彼女達はとても大変な状況にいる。多分、君が一番見たくないモノに追われてる。それでも...彼女達を助けて欲しいんだ。その為なら僕は喜んで力を貸すから。」

彼が自分の意識に現れるようになってかなり経つものの、感情らしきものを見せたのはこれが初めてだった。不意の事で驚いている間に、見える世界は飴細工のようにくるくると回り始めている。
何か真意があるのだろうか。聞きたくとも陸に打ち上げられた魚のように口は開くだけだった。言葉を思うように紡げない状況を察したのか、彼の残像は最後に一言呟いた。

「待って......彼女達...誰...」
「大丈夫。会えば直ぐに分かるよ。......ジンになら。」

少年の笑い顔がその場所からの離脱の合図だった。
全てがあるべき意識の闇に消えて行く。


***********************


「......酒臭い。」

 久しぶりの夢を見て、ジンは悪態をついた。
 ぼやけた視界に広がる黒ずんだ天井。ジンが見た夢に出ていたコンクリートの壁とは違い、寝転がっている場所は剥げ欠けた壁紙の見慣れたものだった。
寝起きの所意か喉にゆるい渇きを覚えた。すぐ手近にあったボトルに手を伸ばす。そのまま横に置いていたグラスに入っている水を注いだ。グラスに浮かぶのは縁に泡立つ微かな気泡。一気に飲み干すと、無味無臭の緩やかな炭酸水が喉を降りていった。
ベッドに視線を移せば、アルトが無造作に積まれた酒瓶を枕にいびきを掻いていた。
まだ覚めきらない頭を働かせて、昨日の行動を思い出し始めた。
昨日はホリーホックで依頼内容を聞いた後、ジンとしては直ぐに帰るつもりにしていた。
なのに気がつけば、ホリーホックを皮切りに散々飲み倒し、泥酔状態の男を住んでいるアパートメントまで引きずる羽目に。最終的に飲み足りない分を補うように酒盛りを始める状態になって、酔っ払いがいつの間にか部屋を占拠、現在に至る。不法占拠をやらかした張本人はベッドで爆睡している。
部屋の主はと言うと、床で寝落ちする羽目になり、夢で予言をされていた訳である。
目を覚ます為、ジンはのろりと起きあがり軽く伸びをするが、どうも身体は固くなっていた。首を寝違えたらしく、動かすたびに鈍い痛みが走る。
首に痛みが走る度に思い出すのは、先程まで見ていた夢の出来事だった。

『充分幸せだから。』

彼女が本当に幸せだったのか。何度も繰り返す過去の夢を思い返す。
全ては彼女が自分に与えた訓戒なのかも知れない。
誰もがあの時こうしていればと後悔の念と共に振り返る。だが振り返る度に結局、戻ることの出来ない現在に気がついて空しくなる。ジンにとっての後悔は、夢の中に出てきた彼女の言葉そのものだった。未だにジンは自分の取った選択肢が正しかったのかどうか分からず、夢に出る過去の記憶に追われて考え続けている。
見ず知らずの他人の大罪を押し付けられて投獄され、人間の尊厳からはほど遠い形で命の終焉を迎える。そんな状況でも、笑い続けることが出来るのか。考えれば考えるほど、彼女自身が発した幸せだったという言葉は、ただの強がりにしか思えなかった。
それに、既に正常な判断を下せなかったと考えることも出来る。異常な状況で精神状態が不安定になっていた。だから彼女は笑っていた。そう考えればいいのかも知れない。そう思う事で解答は正常に現れ、問題は完結するか。
否。解答はどこにも無い。解答がどちらでも同じことだ。
ジンは彼女を救う事ができなかった。彼女の生き様や不条理溢れた死を、彼女が見据えていた瞬間を間近で見ていたにも関わらず、自分が選んだ選択肢を受け入れきれずに目を背け続けていた。その現状が、彼女の死を考える以前に重く身体にのし掛かる。
全てを誰かの所為にする事ができたなら、どれ程楽になれただろう。
五年という月日は短いようで結構長い。
あの頃の子供も今は大人になり、大人は更に狂気を抱えている。
ジンはイデア・プログラム研究施設が閉鎖された折に軍職を退き、身分を隠してアルトと共に行動。その間に出会ったのが、ホリーホックの店長だ。その縁から、今は仮の戸籍と表面的なアルバイトをし、バックグラウンドではホリーホックの仕事の請負をしている。
そんな生活をしていると、生き残りである『適性者(イデア)』に割振られてしまった人間に出会うことがあった。
書面にも残る以上に実験対象扱いを受けていて、人道上で有り得ない数多の投薬と実験のくり返し。普通では耐えられない地獄を経験済みだ。その為か人間的な思考を無くしている者が殆どで、まともな思考を持つ奴は皆無に近い。金のかからぬ愛玩人形、命令のままに動く廃人、人の血を求める殺人鬼...法からも人からも救われることなく、底まで落ちていった『適性者(イデア)』ばかりが残り続ける。もちろん彼らが普通に生きたいと望んでいても、世間はそれを望みはしない。大多数によって少数は排除され、出てきた杭は見えなくなるまで打ち付けられる。
 昨日渡された資料の中にいた『適性者(イデア)』の少女もそんな不条理を抱えて生き続けているのだろうか。ならばその写真に残る紅い双眸に問いたい。
 あの時自分が見殺しにした彼女は本当に幸せだったのか。

「美脚よ来い!」

突然のアルトの奇声に考えることを遮られた。
よくよく聞けば、合間に妙な寝言が混じっている。いつも通りに苦笑しそうな内容に占められていた。
笑う代わりに気泡のゆるい炭酸水をグラスに注ぎ、一気に飲み干す。生ぬるさを残して喉の奥から突き出す気泡の感触は、リアルな呻き声を思い出させた。
笑おうにも笑えない。つまらない演技をするよりも先に、目の前で寝こける奴が両手を埋める位の寝言を口走っている。
酒飲みにしろ、脳天気にしろ、寝ているアルトだけが彼女の存在していた時間を留めていた。
自由奔放で酒豪で女好き。そして自分の考えだけは絶対に曲げない頑固者。探し人の死を伝えても生きていると言い続け、ここに笑って戻ってくると信じ続ける。
手はかかれども、何があろうとも。アルトは誰かが見ていないと生き急ぎそうな危うさを抱えていた。
その姿を見て、ジンはどこか安心していた。少なくとも過去に縛れているのは自分だけでは無いのかもしれない、と。
それに、ジンの心中にはアルトを放り出す気分などとうに失せていた。
自分を保つ存在をこれ以上無くしたくないと誰もが思うものだ。それが失いたくない者にしても。もしくはどちらでも無いにしても。

「同じ人に会えるよ、......か。」

ゆっくりと夢の中の「彼」が言っていた言葉を繰り返してみた。言葉の意味に対して現実感が沸いてくるどころか、逆にその響きを空しく感じた。
夢に出てきた彼の意味深な発言はいつもの事だが、今日の言葉はいつにも増して神懸かっている。言葉の意味はそのままなのだろうけれど、何をもって同じなのか、さっぱり見当がつかない。意識が戻った今ですら、根拠となる内容を投げかけて来る気配すら無かった。
ジンは完全に覚めた頭を軽く振って立ち上がった。被っていた毛布を隅に置き、瓶の山を壁に寄せていく。
考えるよりも動く事が重要だ。調査関連で確認作業に動く事は、基本中の基本に挙げられる。それに、確認中に発見したものが答えを見つける切掛けになる場合が多い。

「さっさと起きろ。」

最終作業が如く、ぐだぐだと寝ているアルトをベッドから蹴り落とす。ベッドから落ちた痛みに対しての奇声を聞いても、動揺など皆無だ。
男など金儲けの仕事対象としか思わない者に、営業染みた優しさ等不要だ。キスで起こす趣味など毛頭無い。
蹴落とされたくないと願う前に、眠れるカエルを叩き起こす王女様でも呼べばいい。
己が王女のキス一つで起きる自信があるのなら。


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「本当に吃驚したわよ。あれには。」

軽く腰を掛けたまま、見ず知らずの眼鏡男の目の前で打ち明ける彼女の言い分はこうだった。
彼女の住むアパートメントの隣室に気味の悪い男が住んでいた。
痩せこけた中年の男で、愛想も悪ければ人付合いもしない。故に職業も不明。ここ最近では、屋外で姿を見る事は無かった。ただ、アパートメント近くの売店にいる売り子が新聞を毎朝届けていて、その都度きちんと新聞代をと払っていた事が、彼の「生きている」証明だった。
そんな変わり者の住む隣の部屋から変な物音が聞こえた。
とりあえず、隣人の動向がおかしい上に叫び声が聞こえた事を、多少オーバーにして警察に通報。
しばらくして何故か軍の公安部がやってきた。公安部が踏み込んだ所、爆音と共にドアが内側から吹き飛ばされた。ここで既に何人かが廊下で転倒。それと前後するように別の場所で窓ガラスの割れる音、次いで駆け込む足音と銃撃音が響き渡った。
様子を伺おうと彼女は部屋の窓から外を見ると、この辺りでは見覚えのない少女がこちらを見上げていた。そして視線の先にいる彼女の姿を見つけると大通りに向かっていった。部屋には住人である男の惨殺死体が残されていただけ。部屋は爆発で焦げた部分以外は、男の血で染まっていたらしい。
まさに絵に描いたような容疑者達の逃走劇。
それこそ私は全てを見ていましたとばかりに、貰っていた調書以外の脚色も織り交ぜ、聞いていない事柄まで熱く語ってくれた。

「元々気味の悪い人だったけど、殺されてるなんて思わないわよ。...っていうか犯人はあれでしょ?今噂のあいつら。あの後、新聞で見たのよ。全く気味の悪い話よね。ここもこんなに治安が悪くなるなんて、気がつかなかったわ。うちは子供もまだ小さいし、やっぱり引っ越し時なのかしら...で、どうなのよ。あんた、刑事?それとも新聞記者?」

質問したかと思えば、もう次の話題。
間髪入れずに喋りたいことだけ喋って、聞きたいことを間に入れる。
話術に長けているのか、それとも話好きなのか。おそらく後者だ。
話を聞いている間に子供の事、今やっている内職の話、はては隣のビルにある病院の院長の浮気現場を目撃した事件まで喋っている。
そのせいなのか、彼女の着ている色あせた小花柄のシャツはひどく安っぽく映り、隈の残る顔を更に不健康に見せていた。これ以上話を長引かせたくないのか、眼鏡の男は柔らかに笑いながら口を開く。

「いえ。違いますよ。ちょっと気になることがあって、個人的に調べているだけですので。」
「あらそう、......ご苦労様。頑張ってね。」

喋るだけ喋ったところで興味を失ったらしい。眼鏡の男は愛想良く会釈をしてその場を立ち去った。
少し離れた通りの向こうにいる男の元へ向かう。さっきまではすぐ傍らで別の人間に話を聞いていた筈なのに、気が付くと煙草を吹かしながら通り過ぎる浮浪者に会釈をしている。

「営業メガネ、もう終わりか?」
友人をメガネ呼ばわりした男は、小馬鹿にするようにニヤニヤ笑いながら此方を見上げると、煙草をフィルターのギリギリまで吸い尽くして排水口に捨てた。吸い殻はシュッと軽い音を立てて暗闇に消えていく。
やる気の無い態度も、人を馬鹿にした様な言い草も、全ては起き抜けにベッドから蹴り落とした事についての文句だろう。明らかに八つ当たりの対象は、見ず知らずの人々にも向いている様子だった。普通に歩いているカップルにまで野次を飛ばしていた。
しかしながらここは街中。そこまで許容量の深い人物が傍らにいない。そして、これ以上文句を言われるのも迷惑だった。不機嫌な気持ちを抑え、ジンは文句の多い煙草男に移動を促す。
立ち上がる姿を見ながら眼鏡を掛け直し、街灯の華やかな場所へ歩を進めた。

「大体は貰った情報そのままだった。」
「こっちも右に同じ。クローディアからの情報以上の物は見つからず......んじゃ労働メガネの言うまま次にいきますかぁ。」

文句を聞きながら通りを一筋ほど歩けば、そこは徒花の咲き誇る歓楽街。つい先程、話を聞いた女の子供が哀れに思えた。 しかし、殺人だろうが色町だろうがここは花街。来客数と純利益で豪華絢爛な雰囲気が損なわれないし、そんな場所である事は不動の地位を築いている。用向きは何にしろ、やって来るのは一般市民に該当する発展途上の若い野郎共、ピラミッドの頂点にいる政府関係者、高額所得番付に含まれる裁判所高官、取り締まる側である警察官僚達だ。出入りする顔触れは多種多様で、買われる花も様々。派手なネオンと同じ様に、色とりどりに染まっている。
育つに困っても、仕事に困る事は無い。
その発想は、そこいらに転がる石のかけらの一端まで染み込んでいた。
例えば、この中央府を管理する連邦政府の制服。
表向きには平和維持を掲げ続ける政治体制を意識して、基調は暗くくすんだグリーンで構成され、深めの奥襟に特徴のあるコートが印象的なデザインだ。
ちゃんとコート以外にも業務動作や階級に合わせた形式や型番が存在し、役職に合わせた風体などは統一感に溢れていた。街の創世期時代に活躍したデザイナーが手掛けたと言うだけあって、誰が着ても目を引く。
ある程度の努力をすれば、トップクラスから底辺で暮らしている全ての人間に、最上級の暮らしができるチャンスが存在していた。
但し、望む内容と同じだけの金と人脈と才能が必要だ。
現実は甘さ以上に厳しさを抱え、大概が一部分の人脈にのみチャンスは限られている。たとえ一時的な内容で制服を着る事が出来ようとも、中身まで最上級の保証が出ている訳ではないのが日常だ。現に軍の安全保障関係とデザインが酷似した藍地の制服を隣で煙草を吹かす馬鹿が着ている。
ちなみにジンは、身元を伏せて図書館の臨時職員とホリーホックからの依頼、アルトはホリーホックでの依頼を除けば殆どが日雇い労働になる。去りし日を思わずとも、底辺での生活に同じだけ身体を酷使すれば、どんな状況でも生きる事ができる。
そんな逆境だらけの状態になれば、考える事まで同じ考え方になっていく。
やられたらやり返せ。

「今日の服装は便利そうだな。......紋章違うだけで関係者スジとほぼデザインが一緒。着ているだけでクローディアがくれた書面は調べ放題、横柄な言動も追求されず。仕事の為に服だけすり替えたいところだ。」
「なんだよ。男前な顔まで変えたいのか?」
「そこは遠慮する。その顔になって商売女にモテても、借金と不幸まで押しつけられそうだ。」

表面上は気のぬいた話と見せつつ、腹の底では納得できない雑言への文句を、言葉の端々に塗り込んでいく。こちらが正論とばかりに棘を仕込む。
お互いに腹立っている訳では無い。ただ、言葉に対して言葉で対処するのが二人の間で当たり前になっていた。日常通りに帰ってくる言葉は、いつも通りの切り返しと反論に溢れていた。

「てめぇ...地味に仕返しすんな。それにこの制服、便利なようで意外に便利じゃないの分かってるか?さっきもお前みたいな見間違えするおっさんに石を投げられ......」

歩きながらの漫談を逸らすと、視線の先に二人の人影が見えた。
薄暗い通りの道端にいるのは禿げの目立つ中背の男と、ショットガンを持った大柄な男の二人組み。胡散臭そうな顔つきに見覚えは無かった。それにも関わらず、こちらの様子を伺いながら向かってくる。
夢に出てきた記憶の中にいる人と、聞こえている筈の少年に対して心の隅で敬うように囁く。
自分の進んでいる道はきっと貴女に誇れるモノでは無いだろう。
そして自分と同一のモノを抱えた奴に出会うかもしれない。
それよりもまずは商売敵が目の前に現れる。これが今、自分の抱えている現実だ。