piece1-1 -the Monster is coming-

ゴミの匂いで目が覚めた。鼻が聞きすぎるのも少し困る。
だが、酷い匂いと埃まみれの暗い場所は心地よく感じた。これに彼奴等の血の臭いが混じれば最高だ。
腹は減るものの、気分がいい。昨日今日と私に仇なす者に制裁を加えたからだろう。
口の周りを舌でなぞると、微かに残り滓が付いていた。その味に昨日の高揚感を思い出す。ああ。なんて心地よい。
私は何も悪いことなどしていない。
むしろ私は被害者だ。このような不条理な場所に私を放りだしたこの世界が悪いのだ。私の肉体を傷つけ、記憶を奪い、拠り所を奪い、今度は命すら奪おうというのだから。
だが、どんな時にも望めば助けをくれる者がいる。現に私を助けた者は、私に隠れ場所を教えてくれた。特に私の姿を照らすものが無いのは素晴らしい。このような姿になった私の目にアレは刺激が強すぎて困る。
彼は私に対して理解を示しているらしい。素晴らしいことだ。
この廃墟は歓楽街から少し外れた場所にある。何故か誰も近寄らなかった。聞くと、昔に私と同じものがここにいたらしい。ただ、周りに住んでいた人間に酷い扱いを受け、其奴らを全員片付けたのだという。
その話を聞いて、私は酷く興奮した。私と同じ事を考えているものが此処にいたのだから。
できることならその彼が喰らい尽くす様を見てみたかった。さぞや心地よい叫びを聞くことが出来ただろうに。英雄の素晴らしい行動に涙が零れた。
お陰でこの建物はいわく付きになって、人も寄りつかなくなったらしい。
先人のお陰で私は救われていた。ここならば暫く見つかることは無い。この狂った世の中もまんざらではない。
不意に腹の傷に痛みを覚えた。塞がった傷に何故痛みを覚えたのだろうか。何かの予兆かと思い、周りに注意を向ける。鼻を曲げそうな腐敗臭の中に、微かな土埃の匂いが混じっていた。雨の前兆だ。
私を助けた者は、私の手助けもしてくれると言っていた。
私から大切なモノを奪っていった人間を教えてくれると言っていた。
神など信じる気にもならぬが、あの者に関しては利用する価値がある。
素晴らしいことだ。
暗闇の中に浮かび上がる薄明かり。そして人影が二つ。あの者達がやってきた。今日も私に手を貸してくれるのだろう。外は雨が降り始めたらしい。微かに腹の傷が痛んだ。
奴らにも私が受けた傷の深さを教えてやらねば。心地よい痛みに自然に笑みが零れた。
ああ。今日も仇なす者を探しに行こう。

黒い服を着た一人は黙ったまま、今日も刀を持っていた。刀の鍔からは、自分の口元から臭うものと同じ臭いがした。その臭いは、最初に牙をたてた男の臭いを思い出させた。息もせず、ただ倒れふした肉塊だった男だ。喰う意味があったのかは分からないが、お陰であの男の記憶を頂いた。
 伴侶の死。知人の死。そして愛しい我が子との別れ。記憶の無い私からすれば美しい事この上ない記憶であり、同時に酷く妬ましかった。

「おいで。」

掠れた声が耳に届く。
明かりを持って私を案内する人間はいつも通り仮面を付けている。今日は帽子を深くかぶり、つぎはぎだらけの腕をぶら下げていた。目障りで仕方がない。何かの臭いを誤魔化す為なのか。其奴の身体から漂う、甘ったるい臭いも鼻につく。
その全てが鬱陶しく、癪に障る。
その明かりを持つ手を綺麗にもぎ取って、この者の存在すら全て片付けてしまいたくなった。だが、此奴等が教えてくれた。
あの男の記憶に残っていた者、其奴等全てが私の命を脅かす邪魔者だ。


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「全くここは暇だな。」

能天気な声が昼下がりの書庫の中で反響する。
ジンは人の相手をするのは嫌いではない。寧ろ人の話を聞く事は好きなほうだった。自分を上手く表現できない分、彼は聞く事に努めようとしていた。
だが、書庫の整理をしている時や、自分が集中して本のページの補修をしている時に、無駄に話し掛けられ邪魔されるのが嫌だった。
そう。丁度今がジンにとって堪らなく嫌な状態だった。

「美人のお嬢さんは来ないのか?」
「さぁね。」

お前がいるから誰も来ないんだよ。
そう言いたい所だが、喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。補修用の紙テープを切りながら相槌を打つ。
中央府第二区連邦図書館分室は、今日も殺伐としていた。
無精髭の男と職員の腕章を付けた青年の二人きりだった。窓の向こうで小鳥が囀るぐらいで、他の人の気配など無きに等しい。
おそらくこの場所に希望する『お嬢さん』が来ることは無いだろう。
彼らの今いる書庫は中央府の連邦評議会の検閲を終えて、図書館の本棚へ並ぶことの無い資料を主に保管していた。図書館の建物の一部を使用している事もあり、形式上一般にも開放されている。しかし、内容が軍事関係ばかりで、来る顔ぶれも軍関係者が殆ど。
別に人が少ないからと言って、やる事が無いわけではない。
評議会議録帳や研究施設の書類の整理、そしてそれらを含む蔵書の確認、その補修、紛失している資料室の目録の作成。挙げていけばキリがない。手伝う気があれば仕事は山ほどあった。
普段から人の出入りは少ない場所である上、書庫内のカウンター下から聞こえる声は、自分が原因で更に閑散としているとは思っていないらしい。
ジンの視線の先にいる男は暇になると、ここにやって来て時間をつぶしていた。質の悪い時は、仕事が終わってからでもジンをネタにしようと付いて来た。今日も今日とてこちらの仕事を手伝う気配はまるでなく、我が物顔で居着いている。
更に今日は服装が警備員なので、業務妨害に近い。
扉を開けると目の前で警備員姿の男が殺気立った顔をして、蔵書類をトランプタワーの様に床に積んでいるのだ。訪れる者にとってあまり喜ばしい雰囲気ではない。
 先程も書庫に納める本を持ってきた司書に向かって、無言で警備用のモデルガンを構えていた。
基本、自分が一番。掲げるポリシーは我が道を往く。ジンはいつも思う。変な我儘さえなければいい奴なのに。
補修し終えた本を並べようとジンが席を立つと、すぐ横の本棚の下段一列が綺麗に無くなっていた。気が付けば本のトランプタワーは四段目まで立ちあがっている。
また索引順に並べなおさねばならない。タワーをよく見れば、カバーが痛んでいるからと除けてあった物も混じっていた。ジンは溜息をつく。
タワーの制作者はと言うと、どうやら一段落ついたらしい。持っていた本を置いて満足げな顔をしていた。ついでに今日三本目の煙草に火をつけ、積み損なった本を読むわけでもなく、ただページをめくっている。

「電子図書が戻ってきてるのに、前時代的だと思わん?」
「仕方ないだろう。全部資料なんだし、ある物は全て保管する事になってるんだよ。」

灰が落ちる前にカウンターに置いてあったコーヒーカップを渡した。
コーヒーが入っている筈の陶器には、煙草の灰と吸い殻が入れられている。ジンの吸い殻ではなく、禁煙のこの部屋ならではの灰皿である。
カウンターの中に置けて、傍目に見ても灰皿と分からない。
分室では改修が行き届かず、この部屋の火災警報機は昨年から故障している。全館禁煙の建物だからとジンが注意しているが、捕まらないのをいいことに、嫌がらせの様に吸う。火事を出されては厄介だからとジンが考えた苦肉の策だった。
コーヒーカップは以前からカウンター裏の事務スペースにあったものだ。来客用なのか誰の私物なのかジンも知らない。とりあえず誰も取りに来ないので勝手に拝借していた。
ただし、最初は薄いクリーム色だったカップが、今は煙草のヤニで所々茶色く黄ばんでしまっていた。持ち主が現れてもしらばっくれるしか無いだろうし、ここに来客が来たとしても、こんなカップでお茶は出せない。
そんな持ち主不明の不運な灰皿を渡し、ついでに積み上げた本のバランスを崩さぬように解体した。先程まで並べていた順にきっちりと本棚へ仕舞っていく。
横から落胆する声が聞こえてきたが、いつもの事なので聞こえないふりをした。

「アルトの方こそ休憩の度にこんな所で油売らないで働け。カス程しかないお前の収入が上がる。」
「やなこった。あの薄毛のボンボンにゴマするぐらいなら、俺はヘソを噛んで死ぬ。」

アルトと呼ばれた男はそう言って紫煙を美しい輪にして吐き出した。
薄く広がる輪の中に続けて小さな輪が二つ、三つ。柔らかな午後の日差しの中に溶けていった。
不安定な政府、不安定な治安、そこかしこで起こる紛争等で未だに緊張の続く時に、どうにも暢気な人を食った態度。この調子だとその男の髪がストレスに根を上げ、毛穴から綺麗に姿を消すのもそう遠いことではないだろう。
薄毛の上司が哀れに思えた。

「しかしお前の眼鏡は笑いのネタだな。辛気臭い顔が更に辛気臭く見える。」
「その不精髭ほど見苦しく無いと思う。いい加減剃れ。」
「一日ですぐに伸びるんだから仕方ないだろ。面倒から発展したオサレだよ。オサレ。」
「どこがお洒落だよ。不衛生が五割増されてるだけだろ。」
「酷いな。今ので俺のガラスのハートはヒビだらけになったぞ。」
「ガラスのハートが聞いて呆れる。強化ガラスの間違いじゃないのか。」
「そんな口を聞くとは......お兄さん悲しい。」
「アルトみたいなふざけた血縁者を持った覚えはない。」

お互いに男だけのむさ苦しい空気に飽きて、段段と貶しあいになってきた。端から見ているとコントにしか見えないのだが、言葉の端々の毒は着実に増えていく。
それと連動するように、ジンの根気も限界を迎えてようとしていた。

「とりあえずお前相手にボケるのは飽きたから、美人司書を呼んでくれ。眼鏡の似合う美脚美乳、ついでにスカートのスリットが強烈そうなのを頼む。」
「ブチン。」
「おいどうした。ブチンって何だ。」
「キレたんだよ。三本ぐらい。」
「三本?何が?」
「俺が!」
「うーわー。ギャグみたいなキレ方しやがった。」
「アルトみたいな鈍感野郎、キレたらキレたと言わなきゃ分からないだろ。」
「ああ。確かに。」
「納得するな!」
「そう言えば、昔はキレると色々手が付けられなかったのに...あの奔放さを思うと成長したなぁ。お前も。」

怒りを買っている本人は何も感じてはいないらしい。怒りを爆発させた男の肩を叩き、笑顔で思い出に浸り始めた。
言葉とは不思議なもので、何気ない普通の一言でも、時と場所が違えば途端に不愉快なものに変わる。
アルトの一言でジンの怒りは頂点に達した。本を片手に一気にまくし立てた。

「だから変に話を飛ばすな。人の邪魔もするな。ここにあるのはお前用の積み木でも、トランプでもない。本だよ。本。分かるか?これを整理するのが、ここにいる俺の仕事だ。それが分かったら、いい加減自分の仕事に戻れ。この給料泥棒!」

アルトは言い返す間もなくずんずんと追いつめられ、勢いに押されてカウンターまで後ずさりしていた。衝突した衝撃からか、カウンターに置かれた蔵書類の一角がばさりと落ちる。
普段から言い合いは何度もしているが、ジンがここまで怒るのも久しぶりだった。ひさしぶりな顔をアルトは真面目に観察してみた。血管が浮くまではいかないものの、目が据わっている。ここまで殺気だった顔はそうお目にかかれない。

「お前...。」
「やっと分かったか。」
「疲れてるんだな。こういう仕事が辛いなら辛いって言えよ。胃に穴開けるぞ。」

一撃必殺。怒りは真っ直ぐに対象へ向かっていたが、天然の惚けにあっさりと砕かれた。
文句を言う気力は削がれて、出てくるのは溜息だけになる。

「もういい。好きなだけ遊んでろ。」

全てに諦めた空気を漂わせながら棚に本を並べ直す。
不意にギッと木製特有の擦れる音がした。
素早い動きでアルトの吸いかけの煙草をむしり取り、コーヒーカップと共にカウンターに隠す。ついでに先程のように引き替えされぬよう営業顔で扉の方へ視線を向けた。
人の気配は無く、扉が半分ほど開いていた。自然に開くほど軽い扉ではない。とりあえず扉を閉めに向かうが、なんとなくのカンで振り返ってみた。
アルトの背後に黒衣の来訪者が立っていた。
小さな体にフード付きの黒いロングコート。そのフードの影に隠れた顔は黄色系独特のそれだった。切れ長の黒い瞳が特徴的で、ぼさぼさと伸びるに任せた髪と服装さえ整えれば、目を引く美人になる。
だが来訪者にそんな気は全くないらしい。目深に被ったフードの影から、威嚇する瞳が此方を伺っている。

「なんだ、ルカだったか。」

来訪者は名を呼ぶと此方を確認するように見上げた。ルカと呼ばれた少年の黒い瞳が微かに歪む。

「今日もここは暇そうだね。」
「アルトがいる所為で見ての通りだ。今日は何の用?」

十中八九、あまり嬉しくない情報を持って来た。そうであって欲しくないと思いながら、ジンはアルトに灰皿を渡して扉を閉める。再び本を並べ直し始めた。皮の背表紙から、紐で綴られた紙の束。深く考えることの無いよう、規則的にゆっくりと。

「クローディアのお使いで来た。」

 嫌な事が続く時は続く。どうやらジンの予感は的中し、憂鬱そうな表情を浮かべる。
その傍で不敵に笑み始める男が一人。彼にとってはその言葉が、退屈を紛らわす福音に聞こえた。

「頼み事ってのは仕事?」
「クローディアはジンに頼み事があると言ってた。」
「待て。俺のことはさらっと無視か。」
「彼女の事だからまた面倒事だろうな。」
「って、お前も無視かよ。」
「面倒事かどうか内容を聞いてないから知らない。クローディアは詳しいこと話すから、ここの仕事が終わってから店に来いと言っていた。あと...」

苦笑いをするジンの横で淡々と用件を伝え、アルトに向かって皮肉な笑みを浮かべた。

「うちの爺さんの我慢もそろそろ限界だ。お前はうちのツケをさっさと払った方がいい。この安月給。」
「無視した挙げ句、安月給呼ばわりか。相変わらず常識の欠片もねぇな。このガキゃ。」
「お前を敬う常識なんていらない。役に立たないだろうから。」

年下の子供に本気で怒る男を尻目に、少年は我関せずの表情で軽くかわして出入り口の扉を開けた。

「それじゃあ用は済んだ。」
そう言って切れ長の瞳を更に細くし、姿を消した。


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第六区ヘヴンズ・ドア。
直訳すれば天国の門。だが、言葉の意味がそのままだったなら、この街の天国は欲望に溢れた場所にあることになる。安い居酒屋から高級クラブ、ショーパブ、カジノ等...享楽と退廃と狂喜が街の殆どを占めていた。

「やっと来た。定時上がりの優雅な契約職員の分際で、来るのが遅いじゃない。」
「定時上がりでも邪魔が入れば遅くなる。」

そんなヘヴンズ・ドアにあるクラブの奥部屋。
外は看板を照らすネオンで眩しいぐらいだ。なのにこの部屋は薄暗い。微かな照明だけが室内を照らしている。
彼らを呼び出した声の主は皮の上等な椅子があるにも関わらず、大きな木目のデスクの上に腰掛けていた。妙齢の美人で、腰まで伸びた銀髪と暗紅色の瞳は、一度見たら忘れそうにないインパクトがある。

「確かに。ザル呑み野郎がいれば、フェイクかけ続けるのも疲れるね。」
「何だよ。俺はどこでも邪魔者ってか。お前の愛人の手伝いをしている奴にその扱いは酷いだろ。」
「愛人じゃない。パートナー。とりあえず今回はアルトも協力してくれないと大変だと思う。」
「で、用件は何?」
「まぁ、これ見て。」
そう言って新聞を放り投げる。目に入ったのはここ最近続いていた奇妙な事件を報じているものだった。

「ここ最近、こいつのお陰で表での客の入りが減っててさ。知ってる?」
「知ってるよ。いくら世間に疎くても。」

無作為に人が襲われ、数日後には誰かの手によって死体が消える。ここ最近のニュースではかなり強烈なもので、マスコミでは大きく取り上げられていた。
例に漏れず、渡された新聞にも一面に大きく『第五区にてまたも被害者』と書かれていた。
見出しの下には、物々しく動く警察関係者の現場写真が大きく印刷されている。ぺらぺらと新聞のページを捲ると、中の紙面にも関連した記事がいくつも掲載されていた。
被害者は十歳の少女から三十代の男女合わせて八名。彼らに共通点は無く、犯人探しは雲をつかむようなものだった。数少ない手がかりと言えば、正体不明の『獣』の存在だった。新聞によれば致命傷以外の傷は殆どがその獣によって付けられたもので、市街中心部の害獣駆除はきっちりされているにも関わらず、現場にも痕跡が多数発見されていた。
しかし、目下の所その正体も殺人鬼も死体泥棒も全て捜索中と警察は詳しい情報は公開していない。新聞では新たな都市伝説だの、こんな時にしかお目に掛からない犯罪学者の憶測が飛び交っている。

「うちの常連からの依頼で、その犯人探し頼まれてさ。」
「断る。」

ジンが答えを出す前に、先にアルトが即答していた。

「ちょっと待て。それ俺の台詞だろう。」
面倒なものは断るつもりだったので、ジンはジンで自分の言い分がある。それを言う間もなく遮られるのは不本意すぎて、文句の一つも言いたくなる。
「どうせお前が受けたら、俺も手伝う羽目になるんだからいいんだよ。」
「別に手伝わなくていい。役に立ってるとは思ってない。」
「なんだよそれ。そのうち泣きつく事になっても俺は知らないぞ。」
「その前に泣きついてるのは誰だよ。」
「もちろん俺様。」
「それは胸張って言えることか?」
「言えねぇな。うん。」

彼らの中途半端な珍問答は、彼女にとっては慣れた光景だった。言い合いの声が途切れるまでの間に、目の前にいた女性は椅子に座り直して煙草を取り出し、テーブルに置かれた書類を確認していた。

「なんだ。もう今日の漫談は終わり?」
「終わりだよ。話が進まない。」
「漫談のつもりはないんだがなぁ......まぁ受けるかどうかは別にしろ、んなもん警察に任せとけばいい話じゃねーか。」
「それがそうもいかないんだ。」

そして先程まで見ていた書類を投げる。
捜査資料らしく最初の事件から事細かに記されていた。そこには非公開になっている被害者等報道には出てきてない情報が多々挙げられている。読み進めていくと尋常ならざる部分がいくつか目に付いた。
まずは被害者の数。身元不明者と捜査関係者については伏せられており、それらを含めると計十四人。
続いて遺体に残されていた歯形。最初の被害者に残されていたのは二種類。件の獣ともう一つは人間の歯形。現在確認されているだけで四種類。そのうち三種については鑑定が済んでおり、それまでに死亡している被害者のものと一致している。
そして被害者の遺体は全て死体安置所から盗まれていた。警備システム、監視カメラなどは正常に動作していて、不審者の痕跡は全くなし。
死んでいた筈の被害者が霊安室から歩いて姿を消した以外は。

「化物に襲われて、ゾンビになって徘徊し始めて、化物と一緒になって人を襲ってる、と。」
「多分ね。普通の奴がそんなことすると思う?」
「んなもん人間びっくりショーだろ。」

どうやら彼女の思っていた答えが返ってきたらしい。クローディアはにやりと不敵な笑みを浮かべた。

「人間びっくりショーで正解。警察の捜査資料にミスや隠蔽、ウソがなければ、犯行には『イデア』が絡んでる。もしくはジンと同じ様な奴。いたらいたで、そっちの方がびっくりだけどさ。」
「やっぱりなぁ。それ位の刺激がなきゃやってられねぇ。」

『イデア』とは数年前まで行われていた人体実験の被験者を総称したものだ。人類の存続を目標に掲げた研究所で地獄を体験し、今も狂気を背負ったまま生きている人々を指している。理想の名を冠しているものの、実際は理想から見事にかけ離れていた。
ジンは口を開かず頭を抱えるような仕草をしたものの、視線はしっかりと渡された書類に向いていた。書かれた残酷な惨劇を事務的な目で追う。

「SITはどうしたんだよ。対イデアに編成された特殊捜査班なんだろ。軍人並にしごかれてる連中なのに、出番無しだと面目丸つぶれじゃん。」
「ああ...アレね。その資料見て。非公開の被害者に、顔の綺麗な男が二人いる。」
「うん。」
「それ、SITの捜査員。」

 強烈にやられてる。
 彼女が言うだけあって強烈なやられ方だった。まさに四肢損壊、写されている固まりが、辛うじて人体の一部だと分かるぐらいだ。第一発見者は同僚になっており、その同僚も事件後の心的外傷が高く休職願いが出されている事まで記入してあった。

「これも消えたわけ。」
「そう。消えたわけ。死後処理でツギハギだらけだったのに歩いていたらしい。これ見つけた奴は失神と失禁、見た時の恐怖をプレイバックし過ぎて依願退職。公僕の失態とスキャンダルでこの内容は非公開になった、と。笑うに笑えんコメディだわ。全く。」

「確かにな......しかし見れば見るほどフランケンシュタインさながらだな。趣味が悪すぎて反吐が出る。」
真剣に資料を読むジンを横目にアルトは煙草を取り出して火を付けようとした。が、クローディアによってむしり取られ、違う煙草を差し出される。彼女は自分が取り出した煙草の包装紙を破って銜えていた。中身はシガレットチョコらしい。紫煙の煙ではなく、カカオの甘い匂いが部屋の中を漂っていた。
「この子は...」

捜査書類の最後のページに添付された写真にジンの目がとまる。
あきらかに被害者ではない少女の写真だった。
法務庁の国籍管理局の写真らしい。多少荒いデジタル写真だが、顔の造形ははっきりと写っている。肩まで伸びた薄茶色の髪。クローディアに似た暗く紅い虹彩。注意書には左肩に裂傷痕、上腕部内側と手の甲にイデア・プログラム被験者の刻印アリ。そう記されていた。
形式的に書かれた記録の横で紅い瞳は此方を睨み付けている。

「重要参考人。しかも、ついこの間起きた事件の第一発見者で、容疑者の一人。ついでに被害者と同居していて、一昨日に捜査員が参考人として同行求めたところ逃走。目下の所捜索中。そこに書いてある。」
「プログラム被験者...と言うことはこのガキがが犯人なのか。」
「かもしれない。違うにしても何か知ってると思うから、警察も捜してるんじゃない?犯人かどうかはあんた達で決めて。」

どちらにも取れる言い様である。
この写真の少女があの写真のような凶行を行った可能性がある。写真の中の少女が大の大人を惨殺する所など想像したくない。常軌を逸していた。
彼女が犯人であるかの前に、クローディアが中途半端な言い方をする時には何か裏があることをジンは知っていた。ついでを言うなら、こういう中途半端な答え方をされると、ジンは断わる事ができなかった。

「やる気になった?」
「そりゃね。」

人が死んでいるから。ジンがそう付け加えると彼女は顔に似合わない剛気な笑い声を上げた。
おぞましい凶行と人の死。そんな暗い言葉も彼女にとっては冗談に聞こえるらしい。くそ真面目な男だと、ひとしきり笑う。引き出しから警察の印が押された封筒を取り出す。封筒から札束を取り出してきっちりと数えテーブルに置いた。

「今、ここにある捜査関係の詳しい資料はそれで全部。報酬はここに経費含めで六十万、依頼完了時に百四十万で合計二百万。仕事をするなら、持っていって。」
「内容の割に安いね。今回。五掛けじゃなくて六掛けにする気ねぇ?」
「馬鹿。手間の割に安い仕事だから、あんた達に任せるんだ。それと犯人や死体見つけても『始末』じゃなくて『確保』だから。動けなくしても、息の根だけは止めないように気をつけてね。」
「また手間な事を...割に合わねぇ。」
「向こうには向こうの面子がある。仕方ない事だと諦めて。」
「面子なんてあるのかよ。彼奴等にあるのって見栄だけだろ。」

呆れ顔のアルトに向かって、彼女はもの凄い剣幕で睨み付けた。そのままの勢いで襟を掴んで捲し立てていく。

「彼奴らには見栄とハッタリしか無いから、周りにとばっちりが来るの。奴等のお陰でここにある情報揃えるのに、私が不眠不休だったんだ。今ココにある目の下のクマなんて、この事件にいる生き物より質悪いんだから。それこそ、この猛獣を綺麗に消せて、捜査上のデータ位は依頼者へ全部流せって馬鹿共に殴りこみを掛けることが出来るってんなら、あんたの賃上げ交渉は考える。」
「...了解。とりあえずこっちを頑張る。」
「そうして。これ以上私の目の下にいる猛獣を繁殖させることの無いように。」

不満はあるものの背に腹は代えられず。アルトは隣で写真に見入る男を一瞥すると、慣れた手つきで札を数えて懐に仕舞った。
話が終わると同時に重苦しい扉から軽いノックの音がした。
扉を開けたのは黒人少年のウエイターだった。きっちりとボタンの留まった白いシャツと耳についたピアスが、とびきり黒い肌に栄えていた。

「オーナー。そろそろ時間です。」
「なんだ。今日は早いね。」
「オーナーに夢中のトウゴー氏がお見えになられたので。」
「ああ...毎日毎日飽きない男だこと。さて、今日も元気に可愛いキーボードを弾こうか。あんた達、今日は店に寄っていく?」
「遠慮する。どうせ高い酒をしこたま飲ませる気だろ。」
「当たり前じゃない。それが表立ったウチの商売なんだから。」

クローディアは立ち上がると、机上に置かれたブレスレットを取ってドアに向かった。